100年前の相場戦国時代

連載に戻ります。山崎種二の若い頃の相場運用の雰囲気はこんな感じだったようです。

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米の清算取引、蛎殻町界隈では合百と呼ばれる一種のあてっこや、薄張り(少ない証拠金で相場を張ること)が横行していた。クロウト筋は小口の投機好きな投資家に向かった。

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言葉が古くてちょっと理解しがたいかもしれません。合百(ごうひゃく)とは、上か下かを当てる単純な売買で今でいうバイナリーオプションや外為オプションのようなものです。

薄張りというのは、少ない証拠金で大きなポジションを作る取引のことです。今に置き換えると「高レバレッジでの売買」といったところです。そうした投機好きな投資家とは逆の売買を山崎種二などのクロウト筋はやっていたということです。

文章の流れから判断すると、理由はおそらくこうです。

薄張り投資家は、いずれ自滅していく。だから、その逆の売買をしていれば儲かるという意味合いがあったようです。

「売りの山種」の原点がここにありそうですね。

株や商品先物は一般投資家は「買い」が中心になるのは昔からの傾向です。山崎種二さんが「売り方」で登場することが多かった背景ともいえます。

「薄張り投資家はいずれ自滅していく」

この言葉が気になる方もいるかもしれません。これは薄張り=高レバレッジ運用の欠点をよくついています。これについて、ちょっとご説明しましょう。

高レバレッジ運用の欠点

どの運用法にも長所と短所があります。例えば、高レバレッジで短期売買を繰り返すスキャルピングもそうです。この運用法は勝率も高く短期で大きく資金を増やす成功者も多いというとても魅力的な長所があります。

半年ほど前に、リアルマネーグランプリでその参加者のやり方や考え方を観察する機会がありました。それをみていて感じたのは、長所の裏側にある短所でした。

「目先の動きに敏感になりすぎて大きな流れを見失う人が多い」

そんな売買状況を何度もみました。

高レバレッジであるが故に、5~10pipsの値動きは非常に重要となり、1分や30分の間のちょっとした値動きにも敏感になります。その反面、大きな流れにはちょっと鈍感になているような傾向があります。

私が出場したのは第1回のみですが、第2回も観察し続けていたところ同様の傾向があり、調子よく利益を伸ばしているように思えたのがいきなりドカンと損失になってしまうようなケースがあるのです。

私達のやっているスワップ投資やサヤ取りでは、ルール違反をしない限り、このような事はあまりありません。

山崎種二さんをはじめとしてクロウト筋が、「薄張りの投機好きな投資家に立ち向かう」と書いているのはこの高レバレッジ投資家の欠点を熟知していたからだろうと推測されます。

無論、高レバレッジ運用で成功する人も中にはいます。

100年前の当時もスキャルピングに似た運用法はありました。短期間で大きな利益を出し有名になった相場師が沢山います。

短期売買のうまい人を畏敬の念を含んで「電光将軍」と呼んでいました。この呼び名がついている相場師は、現代でいうところのスキャルピング的売買によく似た売買をしていたようです。

電光将軍とその末路

ちなみに名人クラスを「電光将軍」、その手前クラスを「小電光」としていたようです。

派手で衆目を集める売買で大きな資産を作ったため、多くの個人投資家から教祖のように祭り上げられた方もいます。この辺も現代と似ていますね。

ただ、長続きはしないのです。

電光将軍と呼ばれて最後まで生き残った投資家は記憶にありません。短期で成功したりするのですが、その成功を保つことは至難の技なのだと改めて感じます。

これに対して山崎種二の運用は堅実でした。

「薄張りの投機好きな投資家」に立ち向かったりしながら、貯まった資金はサヤ取りで運用をして増やしていったのです。事業も順調に拡大し軌道に乗ってきていました。

そんな折、山崎種二の次のライバルが米相場に現れたのです。

合百師の弟子 変幻自在の高垣甚之助

ある日突然、その男は米相場にやってきた。

男は合百師(現代の外為オプションのような取引)で有名な川北徳三郎の弟子で、破産者が続出した大正バブル崩壊を売りで巨利を得たことで知られる人物だった。
 
名を「高垣甚之助」という。

彼は、前回のような買い一辺倒の相場師とは違う。売り買い両方を変幻自在に操る。破産者が続出した大正バブル崩壊相場も売りで巨利を手に入れたばかりであった。

その、高垣甚之助との戦いが始まろうとしていた。