黒頭巾の正体
昭和7年、米は再び何者かの買いにより上昇し始める。
正体がわからず、「黒頭巾の買占め」と呼ばれた。
日にちがたつにつて、正体が浮かび上がってきた。
その正体は「怪物伊東ハンニ」だった。
そもそも伊東ハンニとは何者なのか?
伊東ハンニとは
本名:松尾正道、三重県出身で父は株で失敗、彼自身は14歳の頃、名古屋から歩いて東京まで出てきたという奇抜な経歴を持つ。東京で伊東ハンニ(阪二)と名乗ります。
生まれ故郷の伊勢の「伊」、東京の「東」、大阪の「阪」、二つの都市で名を上げるという意味で「二」、という願いを込もった名前でした。
伊東ハンニの名は、この頃の相場師列伝の勝負の中によく出てきます。
詐欺罪で告訴されるなどしながらも、若くして相場で成功を収めた。政治家・軍人など名士を巧みに利用するところもあり、陰陽併せていろんな手を使う相場師だったようです。
その伊東ハンニが、次の山崎種二の相手でした。
正体がバレたら仕手戦は負け
山崎種二は、このときも「売り方」として伊東ハンニと戦います。結果は山崎種二側「売り方」の勝利となります。
本によれば、伊東ハンニが相手に読まれないように手口を分散したのが裏目に出てしまい、かえって正体を見抜かれてしまったのが敗因となったようです。
「そろばん」では、その時のことをこう書いています。
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相手がどこの誰かがはっきりわかってしまえば、仕手戦では半分勝ったも同然だ。
相場は戦である。
「はかりごとは密なるをもってよしとなす」
静かに、静かに、目立たぬように相場を張るのが、最上の策と言うべきだろう。
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本には書いていないが、この時も現物米を押さえて、先物で売りポジションを作るというサヤ取りをしていただろうと思われます。
山崎種二は、本当に手堅い人でした。相場師というよりは事業家に近いのかもしれません。
事業としてサヤ取りをしている。
手堅く手堅く足場を固めながら一歩ずつ歩き続ける。
そんな感じがします。
サヤ取りと一言でいっても、種類が沢山あります。
山崎種二の「そろばん」の中にもいろんなサヤ取りについての記述があるので、それについて紹介させて頂きます。
黒頭巾の正体 まとめ
山崎種二氏が、「常勝将軍」「相場の神様」と呼ばれる始まりはこのころからだったかもしれません。サヤ取りを基本とした売りが彼の基本戦略の一つで、それはかなり強力なものだったようです。
サヤ取りの凄さを改めて感じます