100億の男とトイレトレーダー

山崎種二が父の借金返済のため奉公に出て間もなくのころ、奉公先のお店に出入りしていた占い師に姓名判断をしてもらった。占い師はじっと彼の顔をみながらこう言った。

「お前はきっと出世するぞ。相当の金持ちになるかもしれないな。10万円はまず間違いないだろ。」

10万円とは大したことないな。
俺でも持っているぞ!

なんていわないで下さいね。

100年前の10万円ですので、現在に直すととんでもない金額になります。当時山崎種二の給料は、1ヶ月1円50銭くらいでした。1円=10万円として今の水準に直すと、100年前の10万円は現在の100億円となります。

この100億円はどこを基準にするかでも違ってきます。これは大袈裟としても10億円以上の価値があったのは間違いない気がします。

いずれにせよ、借金まみれで月給1円50銭の若者には仰天するような言葉でした。

当時の山崎種二は、その言葉をそのまま信じることは出来なかった。ただ、借金を返すのに必死だっただけに、彼の心には光明が見えた気がしていた。

そんなこんなで、彼は相場をちょこちょこと始めた。

元手は、給料とアルバイトで貯めたお金であった。

トイレトレーダー 山崎種二

彼の最初のころの運用は、仕事の合間に時間をみては注文を出すというスタイルでした。

このスタイルは、サラリーマンが仕事のヒマをみて注文を出すような形に似ている。いわゆる「トレイトレーダー」のような感じで運用をしていたのです。

当初の成績は勝ったり負けたりの繰り返しで差し引きトントンで、大きく勝つこともあったが大きく負けることも多いという売買を繰り返していたようです。

相場を張りながら、相場師達の大儲けした話やあっという間に大損して一家離散になった話をよく聞くにつれ、相場の恐ろしさも感じてもいました。

印象的なのは、米相場の大成金といわれた神吉源之助の話であった。

神吉源之助は当時こう語った。

「実は俺が相場で儲けたのは97万円、そこでとめておくべきところ欲がでた。あと3万円儲けて100万円にしたら一切手を引こうと思った。その3万円を儲けるために、売り出動したのが運の分かれ目、思わず深入りしてしまった。」

80円を元手に米相場で成功したのに、あと一歩で全てを失ってしまったのだ。

「そろばん」の中で山崎種二はこう続けています。

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人間の欲には限りがない。それが落とし穴である。相場を当てた人の話はいくらでも聞いた数限りない。にもかかわらず、最後までうまく行った人の話は少なかった。むしろ、稀である。

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だからといって、相場を止めるつもりはない。

彼は更に語る。

「やってみなければ結果はわからない。私のように無学のものは何事の自分で経験しないうちは納得出来っこない。」

チャレンジ精神旺盛な若者でした。

これが、16歳ぐらいで奉公にでてから19歳ごろまでの山崎種二です。

損と利益を繰り返しながらも山崎種二の運用資金は増えていった。

やはり彼は運用の才能があったのだろうと思う。

私のような才能のない凡人であれば、最初から徐々に損が嵩み運用資金が減っていくのが普通だからだ。

でも、だからといって山崎種二がこのまま相場の神様にまで上り詰めるわけではない。

大成する者には、必ず大きな試練がある。

その最初の試練が彼に訪れようとしていた。

次回へ続く