10億円儲けた人たち 林輝太郎の売り相場

「山種の売りテクニック」の続きです。このテクニックを単なる「売り」だけのものと思っている方もいるかもしれませんが、FXでは「売り」と「買い」の両方で使えるものと私は感じています。

株式・商品先物の現役トレーダーの中にも、「売り相場で大きな成功を収めた方々」がいます。今回と次回はその方々の成功談をご紹介します。

今回は、私の心の師匠でもある林輝太郎氏です。

著書「株式成功 10億円儲けた人たちの基礎」の中でご自身の10億円の利益を出したときの運用について書かれた部分があります。利益を出した時期は、1989年以降のバブル崩壊による株式暴落相場のときです。

暴落の兆候

--- 本より抜粋

天井近し、という相場観を持ったのは、ほとんどの銀行株・証券会社株が1987年の4月に天井をうって88年・89年には大きく下げている事実にもあった。

平均株価は、上げ続けたが、新日鉄は89年2月に984円をつけ、どうも天井くさい動きなので注意して見ていた。

売ろうとは思うが、なかなかふんぎりがつかない。

---

この頃、林輝太郎氏が使っていた売買道具は場帳・月足グラフなどです。月足グラクは、毎月描き足す手書きのものです。東証一部上場企業の月足グラフを描き個別と全体の動きを掴んでいました。

私も数年前まで300銘柄くらいの月足を描いておりました。

私の方は、FXに集中するために株式運用から資金を引き上げた後は描いていません。

ちなみに、1989年当時の日本はバブルの絶頂期にあたります。株式投資が大ブームになっていて、証券会社の講演会などはどこも満員という状況でした。

表向き日経平均は上げ続けているので、投資家のほとんどは当然のごとく「買い」しか考えていません。そんな中で、林輝太郎氏は「売り時」を模索していたということになります。

1989年6月 売り開始

---以下、本より抜粋

中源線が陰転したので、思い切って6月26日に証券会社3社で1000株づつ売った。

これが、それから約7~10万株のカラ売りをするはじまりだった。

---

日経平均が天井をつけたのが1989年の年末です。その半年ほどまえから林氏は売り始めています。大天井をつけてからも売り続けています。約7~10万株と数量も大きく増えているところから、「追撃売り」のような形になっていたと推測されます。

その後も、10年近く売り続けました。

--- 本より抜粋

そして、家を新築するのに引き出した以外は98年1月までの8年間、半年毎に乗り換えながら売り続けたのだ。

細かく計算したのはずっとあとだが、上げ相場と下げ相場の両方での利益は10億円を超えていた。

----

ちょっと専門用語があるので補足させて頂きます。

*「半年毎に乗換」とは

これは、株式投資の信用取引の仕組みに関する部分です。株式で売りポジションを作るには信用取引を使わないといけません。これは「カラ売り」と呼ばれています。

当時の信用取引は期限が最長6ヶ月と決まっていたので期限がくると強制的に決済をしないといけませんでした。だから、売り続けたい人は決済をしてから新たに売りポジションを作る必要があります。これが「乗り換え」と呼ばれています。現在の信用取引では期限のない無期限信用取引というのもあるのですが、当時はこれがなかったのです。

林輝太郎氏のバブル崩壊時の売りでの成功談は、メルマガ読者でなくても聞いたことがあるという方は結構いるはずです。株式投資を長くやっている方であれば、有名な話の1つです。

多くの投資家が「買い」しか考えていない時期に「いつ売るか」を考えていたという事も重要ですが、その後に売りポジションをどんどん増やしていった事で利益が大きくなっていったというところも大切な部分です。

「億を稼ぐトレーダーたち」で紹介されている秋山氏も興味深いやり方をしています。

アイネットFXでタイアップ提供中
 

10億円儲けた人たちの売りテクニックその1 まとめ

下げ相場で大きな資産を作った現役トレーダーの紹介です。今回は私の心の師でもある林輝太郎氏です。